不妊治療から妊娠に至るまで

最終更新日 2025年5月15日 by michidoo


画像:東京【港区】で不妊にお困りの方へ 不妊治療専門医院|東京【港区】/オリーブレディースクリニック麻布十番

私は今まで病気一つしないような健康体で育ってきましたし、生理不順でもないため、まさか自分が不妊治療を受ける事になるとは夢にも思っていませんでした。

結婚した時期も20代前半と周囲の友人達よりも早い方で、1年間は夫婦2人きりの生活を満喫したいという理由から避妊していたくらいです。

行きたいところにいき、やりたい事もある程度やり、さぁそろそろ妊娠したいと避妊をやめましたが、定期的な夜の営みはあるものの全く妊娠する気配がありませんでした。

そこで、とある携帯サイトに登録し、生理日を入力したり、基礎体温をつけ排卵日を特定するようにしました。

しかしそれでも全く身体に変化はありません。

妊娠するために良いとされる野菜やサプリメントを摂取したりしながら過ごしているうちに2年が経過し、いよいよ婦人科を受診する事にしました。

病院ではクロミッドという薬を処方され、排卵日前の内診で卵胞の大きさを確認し、より確実な排卵日を特定してもらいました。

そして数か月が経ちましたが相変わらず妊娠する事ができずに、先生からは、夫が無精子症候群などではないかどうか調べたいので、夫にも受診して欲しい旨を伝えられました。

受診が難しければ、朝一番に射精した精子を瓶に入れて持ってきてもらっても構わないと言われました。

しかし夫には断固拒否され、喧嘩になってしまいました。

私の言い方が悪かったのか、プライドを傷つけてしまったのかもしれません。

そこで先生に相談すると、数などの正確さは少し欠いてしまうけれど、性行為を行った後に私が病院を受診して、中に精子がどれくらいいるのかを調べる方法もあると提案されました。

言われた通り私は夫に黙って先生の指示に従う事にしました。

病院では実際に先生が顕微鏡を見せて下さり、精子が元気に動きまわる様子を見る事ができました。

晴れて夫は無精子症候群などではないという事が分かりました。

安心したのも束の間、従来の不妊治療を続けていても、相変わらず妊娠に至りません。

月日はどんどん過ぎていき、治療費だけがどんどん嵩んでいきます。

原因がないだけに、具体的な解決方法もなく、余計に途方に暮れるようになりました。

そして私は卵管造営という、子宮の中にある精子が通る管を拡げる手術がある事を知り、先生に提案してみる事にしました。

先生はまだ若いからそこまでしなくてもいいのでは、という考えでしたが、私は一刻も早く妊娠したいという気持ちが強く、出来る事なら何でも試したいという気持ちでした。

先生は了承して下さり、卵管造営を受ける事ができました。

バルーンを入れて管を開けるのですが、あまりの痛さに卒倒しそうでした。

この治療を終えた後の半年間はゴールデンタイムと呼ばれ精子が通りやすくなるため、卵子と精子が受精しやすくなります。

私は祈るような気持ちで半年過ごしましたが、生理が来る度に、ゴールデンタイムの終わりが来るまでのカウントダウンが行われているような気持ちになり、泣いてしまう月もありました。

周りからは「妊娠したいと思いすぎるから妊娠できない。1度すっかり忘れて旅行など楽しんでみては」とアドバイスを受ける事がありましたが、私にとってはこの手の発言が一番深く傷つきました。

妊娠したい事を忘れられるくらいならとっくに忘れている、それができないからずっと悩み続けているのに、と反論したい気持ちが込み上げましたが、世間では「不妊様」などという言葉も流行っていたため、精一杯口にしないよう、顔に出さないようにしていました。

そうして更に3年の月日が経ちました。

私は病院に行くのを一旦やめる事にしました。

妊娠をあきらめたわけではなく、経済的な問題もあり、自分でタイミングを取る方法に戻したのです。

基礎体温を測り、排卵検査薬を購入しました。

排卵検査薬も安いものではありませんでしたが、病院に通う事でかかる費用と比べればしれていました。

私は体温が下がり出すと毎日検査薬を試しました。

そしてある日、とても濃い線が出たため、その日の夜と翌日の朝に性交渉を行い、ついにその月に妊娠に至る事ができました。

この時は一瞬嬉しいという気持ちはありましたが、次はたいのうの確認、次に心拍の確認、安定期に入っても流産しないかどうか、生まれるまで気が気ではありませんでした。

ここまで心配する気持ちは不妊治療を経験しなければなかったかもしれません。

無事に私は子供を産むことができました。

そして日々の育児に追われながらの第二子は、自分でも驚く程自然なタイミングで授かりました。

ところが今度は流産してしまいました。

また私は不妊治療を始めましたが、次は数回の病院通いで、タイミング法により妊娠する事ができました。

すぐに妊娠できる人、中絶をする人がいる中で不公平さを感じずにはいられませんでしたが、子供ができない辛さは、不妊治療を経験しなければ分からなかっただろうと思います。

2人の子供を授かれた事への感謝、不妊で悩んでいるかもしれない人への配慮を忘れず生きていこうと思っています。