最終更新日 2025年5月15日 by michidoo
「羽子板の歴史が知りたい」
「羽子板って何の意味があるの?」
「羽子板の購入を考えている」
最近は正月の遊びで羽子板などをする人は減少しています。
最近に始まったことではなく、テレビゲームが増えてきた1980年代から徐々にそのような人が減ってきたと言えるでしょう。
ですが、伝統的な遊びとしては、なかなか意味も深く面白い遊びと言っても良いかもしれません。
似たようなものに、テニスや卓球あるいはバトミントンなどがあります。
イメージ的にはバトミントンのイメージがつくかもしれませんが、ラケットと言う概念もなく、板のようなものでボールの代わりの羽を打つわけです。
これにより、相手に打ち返すわけですが、相手もそれを打ち返すことでどちらが落とさないようにするかを競うゲームと言って良いでしょう。
特に特典等はありませんが、落とした場合は角で顔にまるやバツなどを書くケースがあります。
羽子板の歴史
では、この羽子板と言うのは一体いつからスタートしたものなんでしょうか。
少なくとも日本人であれば、その歴史の1部でも知っておくと良いかもしれません。
これがスタートしたのは、平安時代位と言われています。
とは言え、平安時代にすでに今のような形が出来上がったわけではなく、このような形はなく当時羽のようなものがありませんでしたので、小さな周りのようなものを置いたで打つ遊びだったと言われています。
これが次第に現在の形になってきたのは、今から400年以上前の戦国時代になります。
戦国時代にこのような形になり、江戸時代を経て現代に通じていると言われているわけです。
ただ現在は遊びとして羽子板が広まっていたわけですが、戦国時代から江戸時代はどちらかと言えば儀式としての側面が強かったと言えるかもしれません。
儀式とは一体何かと言えば、もともとこのような遊びと言うのは、大抵無病息災を意味しているものといえます。
人間が、1年間のうちできるだけ怪我をしないようそして当然ながら命を落とすことがないようにお願い事をするわけです。
これを6月や7月に行わず、正月に行うと言うのは日本人だし考え方と言えるかもしれません。
日本人らしい考え方とは何かと言えば、日本人の考え方に1月1日は年の初めと言う考え方があるわけです。
これは、365日を通じて1月1日が1番最初の日であり、12月31日が1年の締めの日と言えるかもしれません。
新年の誓い
このように考えられているのは、1月1日になった時、今までの事は忘れてまず1年間過ごすにあたり、いちど考え方をリセットしてみようと言うわけです。
よく新年の誓いと言うものがありますが、これはいくら時間的には継続していても、12月31日から次の日の1月1日になった途端、嫌なことも悪いことも忘れ、気持ちを新たにして目標を定めようと言うことです。
時間的な連続性を置いておいても、日本人は昔からこのように1月1日でリセットする考え方を持っているのが面白い歴史と言えるでしょう。
そんな時に、1年間の無病息災を祝うのは、特に不思議なことではありません。
羽子板とは少し異なりますが、初詣に行くのもやはり同じような理由です。
昔の日本人は今の人たちに比べても、頻繁に神社やお寺などに行っていました。
江戸時代には、角村には神社とお寺が必ず1つずつありました。
現在でも、神主さんのいないところなどもあるかもしれませんが、昔ながらの神社などが一定の割合で存在しています。
1つの村に対して1つは必ずありましたので、本当に田舎のような所でも、お寺や神社等が残されているのはこのためといえます。
非科学的でもいいので神様に手をあわせる
そして、これらは非常に人々にとって身近なものと言えました。
科学的に解明されているものが現在よりも少ない昔においては、とにかく非科学的でもいいので神様に手をあわせるといった考え方が浸透していたわけです。
そのような意味において、正月の伝統行事であるおせち料理を食べることや羽子板をすることそして初詣をすることなどがあり、いずれも人々が反映し健康な状態を維持することを目指していると言っても良いかもしれません。
この羽子板に関しては、どこで板が作られているかと言えば、埼玉県の岩槻周辺だと言われています。
岩槻と言えば、五月人形で有名なところです。
あるいは雛人形としても有名な場所と言えるでしょう。
人形の町として栄えており、現在でも職人が作るお店は非常にたくさん存在しています。
後継者不足などから後継者がいないケースなどもありますが、伝統は今でも続いており、昔ながらの美しい人形などが作られています。
購入する場合は、どれぐらいのものが良いかは人によって異なりますが、安いものだと1000円位からあります。
まとめ
ただ本格的なものと言うよりも比較的簡単に遊べるバトミントンセットのようなもので、それほど本格的なものではありません。
本格的なものは、かなり厚みがあり消してそれを使って遊ぶと言うのは憚られるところかもしれません。
いずれにしても、非常に魅力的なものであり、歴史的なものであることは間違いのないところです。